2020年7月7日火曜日

倫理的な脳

ニューロサイエンスと聞くとニューロンの振る舞いやシナプスの変化といったミクロな面を真っ先に思い浮かべるかもしれません。しかし、ニューロサイエンスの中には心理学に非常に近い認知神経科学cognitive neuroscience)という分野があります。この分野はミクロな話を抜きにして脳のネットワークでどのように思考や感情などの高次の認知機能がうまれるのか、マクロな観点で見ていく学問です。今回はその一例として、脳でどのように倫理観が生じるかという話を見ていこうと思います。

1. 倫理と脳
2. YouTubeの広告をスキップすると
3. 「良い自分」になるための倫理観
4. 倫理観を司る脳

1. 倫理と脳

File:Temporoparietal junction on MRI.jpg - Wikimedia Commons倫理と脳というトピックにはじめてしっかり触れたのは大学でとった Neuroscience of Morality という授業がきっかけです。この授業を教える MIT の Rebecca Saxe 教授は脳の right temporoparietal junction右側頭頭頂接合部)が他者の感情を推察することに特化した theory of mind network であることを発見した40代にして超大御所の先生なのですが、この先生は授業がとても面白い。神経科学や心理学、心理言語学など様々な分野の研究を統合して脳内で如何に倫理観が生まれるのかに迫っていくというものでした。未だ答えのないこの疑問について考えるうえで様々な論文を読んだのですが、今回はそのなかでもとりわけ興味深いと思った研究をいくつか紹介したいと思います。

2. YouTubeの広告をスキップすると

人は自分の行動を潜在的に正当化する傾向にあります。これを示したのが "Ignoring alarming news brings indifference: Learning about the world and the self" という論文。この研究では被験者に無意識にある事柄を無視させます。例えば一つのパラダイムではパソコンで動画を見てもらうのすが、Youtube のように最初に公告が入るようにしておきます。その広告はニジェールでの貧困と飢饉の理解を訴えるものなのですが、被験者には開始10秒でスキップボタンが現れて広告をスキップできるようになります。もちろん被験者たちはその広告の後に流れる動画のほうが研究対象となっていると思っているため、その広告にはあまり意識はしていません。そして実験終了後にアンケートをとってみると、関係のない広告が現れた被験者グループに比べてニジェールの貧困の広告が流れたグループは飢餓問題の重要性を低く評価するという結果が出たのです。

論文ではこの結果を、無意識に広告をスキップしたことへの自己正当化としてその広告の内容への関心・重要度を下げている、と解釈しています。「自分がスキップしたのだから自分にとって重要ではない」と潜在的に認識するようになるというわけです。この実験は、無意識的な操作によって人の価値観が変わってしまうことを示唆しており、倫理観の不確実さを浮き彫りにしています。
File:Prefrontal cortex (left) - medial view.png - Wikimedia Commons
倫理観に重要な脳部位:Medial Prefrontal Cortex

3. 「良い自分」になるための倫理観

倫理的な行動は親切心によるものだと考えたいですが、その行動原理には自己承認欲求を満たすための側面、moral licensing があります。例えば、"When cheating would make you a cheater: Implicating the self prevents unethical behavior" という論文では、"Don't cheat(ズルをするな)" と伝えるよりも "Don't be a cheater(ズルするやつになるな)" と伝えたほうがタスク中の不正が減るという報告がなされており、自己の人間性を守るための倫理的行動という側面を見れます。また、 "Morality in everyday life" という研究では人々の一日の倫理的行動をトラックすることで、一度倫理的行動をした人が同じ日に複数回倫理的行動をする確率が極めて減少することが報告されています。これは、一度倫理的な行動をとって自身の倫理性を保証することでそれ以上の行動をとらなくなるという解釈が有力です(これに似た例で、一度自分が差別主義者ではないという意思表示ができる場を提供された被験者はそのあとのタスクで差別主義的選択をしやすいという実験もあります)。このように何かのための倫理的行動という側面が見えると倫理観というものの存在自体の見方が変わってくるように思います。

4. 倫理観を司る脳
VRで人を救助するタスク(Zanon et al., 2014)

今まで心理学よりの実験を紹介してきたので最後はニューロサイエンスの視点になって、倫理観がそもそも脳のどこで管理されているかという話。実は面白いことに、どのようなタスクをしても medial prefrontal cortex(MPFC、内側前頭前野)という部位が大きな役割を担っていることがわかってきています。fMRI を用いて脳をモニタリングすると、例えば VR 内で他者を危険から救おうとする際(Zanon et al., 2014)や、グループから誰かがのけ者にされている様子を見ている際(Masten et al., 2011)で MPFC が強く発火していることがわかっています。もちろん倫理という言葉は非常に多くの現象を包含する言葉であるわけでここで挙げた二例も倫理観の異なる局面です。それらすべてをMPFCが担っているのか、もしくは MPFC のなかでさらに倫理観の管理の分業がなされているのかは未だ未解決の問題です。

このように一見哲学でしか解けないと思われがちな問題を科学的・医学的見地から調べるという動きは示唆に富んでいます。ニューロサイエンスと哲学がお互いに助け合いながら脳を理解していく面白い学問分野です。

引用
Bryan, C. J., Adams, G. S., & Monin, B. (2013). When cheating would make you a cheater: Implicating the self prevents unethical behavior. Journal of Experimental Psychology: General, 142(4), 1001-1005.
Hofmann, W., Wisneski, D. C., Brandt, M. J., & Skitka, L. J. (2014). Morality in everyday life. Science, 345(6202), 1340-1343.
Masten, C. L., Morelli, S. A., & Eisenberger, N. I. (2011). An fMRI investigation of empathy for ‘social pain’ and subsequent prosocial behavior. Neuroimage, 55(1), 381-388.
Paluck, E. L., Shafir, E., & Wu, S. J. (2017). Ignoring alarming news brings indifference: Learning about the world and the self. Cognition, 167, 160-171.
Zanon, M., Novembre, G., Zangrando, N., Chittaro, L., & Silani, G. (2014). Brain activity and prosocial behavior in a simulated life-threatening situation. Neuroimage, 98, 134-146.

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